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李清照詞選
宋 李清照 作
ゼミ生 N.I.訓
如夢令
昨夜雨疏風驟 昨夜雨疏(とほ)りて風驟(にはか)に
濃睡不消殘酒 濃睡するも残酒を消さず
試問捲簾人 試みに簾を捲くの人に問へば
卻道海棠依舊 却つて道(い)ふ「海棠旧に依る」と
知否 知否 知るや否や 知るや否や
應是緑肥紅痩 応に是れ緑肥え紅痩するべきなるを
一翦梅
紅藕香殘玉簟秋 紅藕香り残る玉筆の秋
輕解羅裳 軽く羅裳を解き
獨上蘭舟 独り蘭舟に上る
雲中誰寄錦書來 雲中誰か錦書を寄せて来たる
雁字回時 雁字回る時
月滿西樓 月西楼に満つ
花自飄零水自流 花自ら飄ひ零ち水自ら流る
一種相思 一つの種(たぐひ)は相思ふも
兩處間愁 両つの処は間(へだ)たりて愁ふ
此情無計可消除 此の情消し除くべきを計る無く
纔下眉頭 纔(わづ)かに眉頭を下ぐるも
卻上心頭 却つて心頭に上がる
○玉簟 竹製の敷物。 ○錦書 恋情を綴った手紙。
〇雁字 雁行のかたどる「一」字、あるいは「人」字。
醉花陰(九日)
薄霧濃雲愁永晝 薄き霧 濃き雲 永き昼を愁ひ
瑞腦消金獸 瑞脳 金獣に消ゆ
佳節又重陽 佳き節又た重陽
玉枕紗厨 玉枕 紗厨
半夜涼初透 半夜涼しさ初めて透(とほ)る
東籬把酒黄昏後 東の籬(まがき)に酒を把る黄昏の後
有暗香盈袖 暗香の袖に盈(み)つる有り
莫道不消魂 道(い)ふ莫かれ魂を消さず
簾卷西風 簾西風を巻き
人比黄花痩 人 黄花に比(くら)べて痩すると
○瑞腦 香料。 ○金獣 香炉。 ○玉枕 陶製の枕。
○紗厨 うすぎぬの帳。 ○黄花 菊花。
鳳凰臺上憶吹簫
香冷金猊 香は金猊に冷め
被翻紅浪 被は紅き浪を翻し
起來慵自梳頭 起き来たりて傭く自ら頭を硫(くしけづ)る
任寶匳塵滿 宝匳の塵の満つるに任すれば
日上簾鈎 日簾鈎に上る
生怕離懷別苦 離るる懐ひ別るる苦しみを怕るるを生ずるも
多少事 多少の事ぞ
欲説還休 説かんと欲して還た休む
新來痩 新たに痩するを来たすは
非干病酒 酒を病むを干(もと)むるに非ず
不是悲秋 是れ秋を悲しむにあらず
休休 休みなん休みなん
這回去也 這(こ)れ回り去るなり
千萬遍陽關 千万遍の「陽關」も
也則難留 也(ま)た則ち留め難し
念武陵人遠 武陵 人の遠ざかるを念へば
煙鎖秦樓 煙は秦楼を鎖ざす
惟有樓前流水 惟だ楼前の流水の
應念我 応に我の
終日凝眸 終日眸を凝らすを念ふ有るのみ
凝眸處 眸を凝らすの処
從今又添 今より又た添ふ
一段新愁 一段の新たなる愁ひ
○金猊 金の獅子をかたどつた香炉。 ○被 掛け布団。
○寶匳 化粧箱。 〇病酒 泥酔する。 ○這 夫。
〇武陵人 仙女と結ばれた男。
〇秦楼 秦姫の玩玉が仙人の蕭史と昇仙したところ。
聲聲慢
尋尋覓覓 尋ね尋ね覓(もと)め覓むるも
冷冷清清 冷々たり清々たり
悽悽惨惨戚戚 悽々たり惨々たり戚々たり
乍暖還寒時候 乍ちに暖かく還(ま)た寒き時候
最難將息 最も将に息み難からんとす
三盃兩盞淡酒 三盃両盞の淡酒も
怎敵他晩來風急 怎(いか)でか他の晩来の風の急なるに敵せん
雁過也 雁の過ぐるや
正傷心 正に心を傷ましむるも
卻是舊時相識 却つて是れ旧時の相識なり
滿地黄花堆積 地に満ちて黄花堆積し
憔悴損 憔悴して損はるれば
如今有誰堪摘 如今有るいは誰か摘むに堪へん
守著窗兒 窓児(まど)に守り着(ゐ)て
獨自怎生得黒 独自(ひと)り怎でか黒ろむを生じ得ん
梧桐更兼細雨 梧桐更に細雨を兼ね
到黄昏點點滴滴 黄昏に到りて点々たり滴々たり
這次第 這(こ)の次第
怎一箇愁字了得 怎でか一箇の愁の字にて了(つく)し得ん
○相識 昔からの知り合い。 ○黄花 菊。
○生得黒 夜になるのを俟つ。 ○次第 情景。
漁家傲(夢を記す)
天接雲濤連曉霧 天雲涛に接して暁霧に連なり
星河欲轉千帆舞 星河 転ぜんと欲して千帆舞ふ
彷彿夢魂歸帝所 彷彿として夢魂帝所に帰り
聞天語 天語を聞けば
慇懃問我歸何處 慇懃として我に問ふ「何処にか帰る」と
我報路長嘆嗟日暮 我は報(こた)ふ路長くして日暮を嗟き
學詩漫有驚人句 詩を学びて漫りに人を驚ろかすの句有りと
九萬里風鵬正舉 九万里の風に鵬正に挙がれば
風休住 風住まるを休めよ
蓬舟吹取三山去 蓬舟吹きて三山に取(むか)ひて去らん
〇三山 蓬莱山ほか三つの仙人の住む山。
浣溪沙
淡蕩春光寒食天
淡蕩たり春光寒食の天
玉□沈水□殘煙
玉□の沈水残煙を□(くゆ)らす
夢回山枕隱花鈿
夢回(めぐ)りて山枕花鈿を隠す
海燕未來人鬪草
海藻未だ来たらずして人草を闘はし
江梅己過柳生錦
江梅已に過ぎて柳錦を生ず
黄昏疎雨陽秋千
黄昏の疎雨 秋千を湿(うるほ)す
○玉□ 香炉。
○沈水 沈香。 〇山枕 高枕。
○花鈿 首飾り。 ○秋千 ぶらんこ。
浣溪沙
小院閑窗春色深 小院の閑窓春色深く
重簾未捲影沈沈 重簾未だ捲かずして影沈々たり
倚棲無語理瑶琴 楼に倚り語るなく瑶琴を理(おさ)む
遠岫出雲催薄暮 遠岫雲を出だして薄暮を催し
細風吹雨弄輕陰 細風雨を吹きて軽陰を弄す
梨花欲謝恐難禁 梨花謝せんと欲するも恐らくは禁じ難からん
蝶戀花
暖雨晴風初破凍
暖雨晴風初めて凍(さむ)さを破り
柳眼梅顋
柳の眼 梅の顋(あぎと)
已覺春心動
已に春の心の動くを覚ゆ
酒意詩情誰與共
酒の意 詩の情 誰か共にせん
涙融殘粉花鈿重
涙残んの粉を融(とか)して花鈿は重し
乍試夾杉金縷縫 乍ち試す夾杉金縷の縫(ぬいめ)
山枕斜欹
山枕 斜めに欹(かたむ)き
枕損釵頭鳳 枕釵頭鳳を損なふ
獨抱濃愁無好夢 独り濃き愁ひを抱きて好き夢無く
夜闌猶翦燈花弄 夜闌はなるも猶ほ灯花を剪りて弄ぶ
○紛 おしろい。 ○花鈿 金の花をあしらった首飾り。
〇夾杉金縷縫 金の縷(いと)で夾杉(うわぎ)を縫う。
〇釵頭鳳 鳳凰をあしらった首飾り。 〇闌 たけなわ。
蝶戀歌
涙濕羅衣脂粉滿 涙 羅衣を湿して脂粉満ち
四畳陽關 四畳の「陽關」
唱到千千遍 唱ひて千々遍に到る
人道山長山又斷 人は道ふ山長く山又た断(へだ)つと
蕭蕭微雨聞孤舘 蕭々たる微雨 孤館に聞く
惜別傷離方寸亂 別るるを惜しみ離るるを傷みて方寸乱れ
忘了臨行 行(たび)に臨むの
酒盞深和淺 酒盞の深きと浅きを忘れたり
好把音書憑過雁 好く音書を把りて過雁に憑(たの)めば
東莱不似蓬莱遠 東莱は蓬莱のごとくは遠からざらん
○詞の前に「昌樂館にて姐妹に寄す」とある。
○陽關 別れの歌。陽關三畳。 ○方寸 心。
○東莱 莱州。
菩薩蠻
風柔日薄春猶早 風柔かに日薄くして春猶ほ早きも
夾杉乍着心情好 夾杉乍ち着くれば心情好し
睡起覺微寒 睡起して微寒を覚ゆれば
梅花鬢上殘 梅花鬢上に残る
故郷何處是 故郷何れの処か是れなる
忘了除非醉 忘れたり酔ひに非ざるを除きては
沈水臥時燒 沈水 臥する時に焼くに
香消酒未消 香り消ゆるも酒未だ消えず
南歌子
天上星河轉 天上 星河転じて
人間簾幕垂 人間 簾幕垂る
涼生枕簟涙痕滋 涼しさ枕簟に生じて涙痕滋く
起解羅衣 起きて羅衣を解き
聊問夜何其 聊か問ふ夜とは何ぞや其れと
翠貼蓮蓬小 翠貼りて蓮蓬小さく
金銷藕葉稀 金銷けて藕葉稀なり
舊時天氣舊時衣 旧時の天気旧時の衣
祇有情懷 祇(た)だ情懐のみ有りて
不似舊家時 旧家の時に似ず
○貼 細い糸で縫い目を見えなくして縫う。
菩薩蠻
歸鴻撃斷殘雲碧 帰鴻 声断えて残雲碧(あお)く
背窗雪落□煙直 窓を背にして雪は落ち□煙は直ぐなり
燭底鳳釵明燭底 燭底の鳳釵燭底に明るく
釵頭人勝輕 頭に釵(かんざ)せば人・勝軽し
角撃催曉漏 角声
暁漏を催(うなが)し
曙色回牛斗 曙色
牛斗を回(めぐ)らす
春意看花難 春意
花を看ること難く
西風留舊寒 西風
旧寒を留む
○鳳釵
鳳凰をあしらったかんざし。
○人勝
綾絹を切って作った人形を「人」、金箔を切って作った
人形を「勝」といい、人日の日に屏風や髪に飾る。
○牛斗 牛斗星。