中国文学

                                                  

中国古典文学研究と漢文教材開発(工事中)

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「中国文学」と「漢文学」を分けているのは?
「中国文学」と「漢文学」というこの二つの呼称は、同じことを言っているように
見えながら、実は両者には少しばかり違いがあるように思います。「中国文学」は
「漢文学」とは違って、中国学です。仏語・フランス文学、独語・ドイツ文学という
時の外国語・外国文学と同じ並びにあります。中国の文学を考察対象とし、
中国の文学について知るためのものです。日本人がそこから何を学び取るかは、
ひとまず措かれます。日本の国語とは関係なく、中国語がどのような表現活動を
行ってきたのか、中国の文学がどのようになっているのか、どんな形態を採って
いるのか、どんな変遷過程を経ているのか、中国の作家や詩人達はどんなテーマ
を扱って来たのか、なぜそのようなテーマを扱ったのか、それに対してどのような
批評がなされたのか等、中国語を通して、中国歴代の文学およびその語る文化を
分かろうとします。至って、基礎研究的な営為です。そして、その古典版が「中国
古典文学」ということになるのではないかと考えます。昔の中国語すなわち古漢語
の表現力を通して分かっていきますから、古漢語を離れられません。中国古典文学
を読み、あくまでも古漢語という言葉の側面から、中国の文学や文化や人を理解
するように思います。そのためには、外国語としての古漢語の知識が、どうしても
欠かせませんし、訓読法よりも、古漢語の発音を通して直読直解することで、
中国の詩や文に迫っていくのだと思います。

「漢文学」の方は、「漢詩・漢文」と言うと分かり易くなりますが、それは、中国語
として用いた場合、こちらの思っている概念としては通じません。中国の人の目に
は、漢の時代の詩・文に限定されて映るようです。つまり、「漢文学」は、その呼称
自体が日本語であると言ってよく、「日本の古典」の一部となったものを指すと思わ
れます。話題は確かに中国の昔の話なのですが、中国の昔のことを知るというよりも、
日本の古典の一つとして、日本人のものの見方・考え方の中に組み込むために
「翻訳」された智慧と言った方が好いもののように思います。中国の文学がどうの
こうのという限定性のものとは些か異なってきますので、その話題は中国古典の
多岐に渉り、『論語』や『莊子』のような中国哲学であったり、『戦国策』や『史記』の
ような中国史であったり、「唐詩」や「伝奇小説」のような中国文学であったりするわけ
です。「漢文学」で一番顕著な特徴は、「訓読」ということではないでしょうか。外来の
ものの見方・考え方を取り入れるために、古人が開発したすぐれた翻訳法であり、
読解法です。読むのにわざわざ中国語を学ぶ必要はありませんし、和語とはまた
表現力の異なった日本語をもう一つ入手できるのです。「訓読法」は、れっきとした
日本の古語の一形態ですし、それを用いることで日本の古典として読めさえすれば、
ひとまずは目的達成というところです。そしてむしろ、それによって取り入れた外来
のものの見方・考え方を日本文化として定着させ、活用させていくという、極めて
実学的な側面に重きを置いています。ですから、教科としてみた場合、日本の国語科
でなぜ中国の古典を学ぶのかなんて悩んだりする必要もありません。