顧易生『柳宗元』                           もどる


 目次
 一、柳宗元とその時代/ 二、若くして雄心大志を懐く/ 三、初期の政治・文学活動/
 四、永州への左遷と闘争の継続/ 五、庶民の苦悩を訴える/ 六、進歩的な思想を
 宣伝する/ 七、散文の刷新を提唱する/ 八、山水に遊覧し、憤慨憂欝を抒べる/
 九、改めて柳州へ左遷され、利を興し、弊を除く/ 十、作品のスタイルごとの概説/


一、柳宗元とその時代(顧易生『柳宗元』第一章冒頭より)

 柳宗元は唐代では傑出した文章家であり、進歩的な思想家である。彼の成長した時代
は歴史上「中唐」と呼ばれる時期で、政治の腐敗・階級の矛盾がひどくなった時代であ
る。唐王朝は、中国の封建社会の歴史では高度に繁栄し発展した一時期であり、とりわ
け八世紀前半の四五十年間が最も富んで強く、歴史上それを「盛唐」期と呼ぶ。ただし
王朝の統治者階級が政治と生活において急速に腐敗し、庶民の労働の成果を限りなく搾
取したので、深刻な社会的危機を醸成している。七五五年(玄宗の天宝十四載)から、
軍閥の安禄山・史思明が八年の長きにも達する大規模な反乱を相継いで勃発させた。こ
れは唐王朝の歴史的転換点であり、「中唐」期に繋がるものである。この時の「安史の
乱」は強引に平定されたが、国勢は却ってこれを機に振るわなくなり、社会経済は深刻
な壊滅に遭い、あわせて軍閥割拠の局面をもたらし、多くの軍閥が各地を覇権で占有
し、庶民を奴隷として使役し、朝廷に対抗し、常に掠奪的な内戦の温床となった。朝廷
の大権も次第に一部の宦官の手の中に落ちていき、彼らは貴族大官僚や各地の軍閥と結
託し、権を争い利を奪い、庶民を搾取し、進歩的かつ実直な官吏を撃退してしまった。
柳宗元は早くから積極的に貴族大官僚に反対する政治改革に従事していたために、反動
勢力の激しい弾圧を受け、長期間の左遷に遭ったが、彼はその為に逆に生活を深め、庶
民に接近し、筆をもってたくさんの優れた文学作品と理論書を書きあげ、進歩的な思想
を宣伝し、不合理な社会の現実に向かって突進することができた。
 ……

(以下、中華書局「中国古典文学基本知識叢書」所収の顧易生『柳宗元』をご覧下さい。
 短編ながら、顧先生の紹介される柳宗元の生涯に感動すること請け合いです。)