岡本綺堂「中国怪奇小説」に学ぶこなれた翻訳




 唐の柳宗元先生が永州の司馬に左遷される途中、荊門を通過して駅舎に宿ると、その夜の
夢に黄衣の一婦人があらわれた。彼女は再拝して泣いて訴えた。
「わたくしは楚水の者でございますが、思わぬ禍いに逢いまして、命も朝夕に迫って居ります。
あなたでなければお救い下さることは叶いません。もしお救い下されば、長く御恩を感謝する
ばかりでなく、あなたの御運をひるがえして、大臣にでも大将にでも御出世の出来るように致し
ます」
 先生も無論に承知したが、夢が醒めてから、さてその心あたりがないので、ついそのままに
してまた眠ると、かの婦人は再びその枕元にあらわれて、おなじことを繰り返して頼んで去った。
……

                                  (岡本綺堂「中国怪奇小説集」より)


 原文は次のようになっています。

 唐の柳州刺史、河東の柳宗元、嘗て省の郎より出でて永州の司馬と為り、途みち荊門に至
りて駅亭中に舎るに、是の夕べ一婦人の黄衣を衣るを夢みる。再拜して泣きて曰はく、
「某家は楚水の者なり。今不幸にして死朝夕に在り。君に非ずんば之れを活かす能はず。儻し
其の生を獲ば、独り恩を戴くのみならず、兼ねて能く君が禄を仮り君が寿を益し、将と為るも
相と為るも且に難無からんとせん。幸はくは明君子よ一たび焉れを図れ」と。
 公謝して之れを許し、既に寤むれば黙自として之れを異とするに、再び寐ぬるに及べば、又
た婦人の且つ祈り且つ謝し、久しくして方めて去るを夢みる。……

                                          (張讀「宣室志」より)



 これを綺堂は、以下のようには訳さなかったのです。

 唐の柳州刺史となる河東出身の柳宗元が、以前、尚書省の礼部員外郎から永州の司馬に
左遷される途中、荊門まで来て宿場の宿舎に泊まったときの夜、黄色の服を着たひとりの婦
人を夢みた。彼女は丁寧にお辞儀をし泣きながら言った。……



 綺堂の端的でこなれた歯ぎれのよい訳文は、どのようにして獲得できたものなの
でしょうか。原文を正確かつ丁寧に読みこなし、綺堂が訳出した要点がどこにある
のか、それを探っていくことが、翻訳の秘訣をつかむ第一歩となるように思われます。


以下、白文

(唐柳州刺史河東柳宗元嘗自省郎出爲永州司馬途至荊門舎驛亭中是夕夢一婦人衣黄衣再
拜而泣曰某家楚水者也今不幸死在朝夕非君不能活之儻獲其生不獨戴恩而已兼能假君祿益
君壽爲將爲相且無難矣幸明君子一圖焉公謝而許之既寤黙自異之及再寐又夢婦人且祈且謝
久而方去……)